

この日常が続くと、いつから勘違いしていたんだろう。
・ジャンルが明確ではない漫画を読みたい
※今回の記事は「読みやすさ」よりも「私の感情や感想」を優先させた結果、いつもより読みにくい文章になっているかもしれません。これまでの記事の中で最も長いため、実際に作品を読み進めながらお楽しみください。
- タイトル…スペシャル
- 作者…平方(ひらかた)イコルスンさん
- 出版社…リイド社
- 掲載誌…トーチweb スペシャル
(第1話~第5話が無料公開中) - 完結済み 全4巻
- スマホでも十分楽しめる…1Pの情報量が多い漫画ですが、スマホでも十分楽しめます(むしろスマホの方がおすすめかも)。見開き大コマは一つもありませんが、素晴らしい漫画です。
全国の「全4巻完結漫画ファン」の皆様、ごきげんよう。今回紹介させていただくのは8年間の連載を終え、ついに完結した平方イコルスンさんの「スペシャル」です。まだあまり世間に知られていない作品だと思うのですが、とんでもない傑作なので全力で紹介していきたいと思います。
この記事を読んで、少しでも(本当にほんの少しでも良いので)この漫画に興味を持ってくれた方は是非、上記のリンクから試し読みをしてみてください。1話あたり8Pのショート漫画で、無料公開されている話数の中では第5話「好きなかたち」が秀逸です。百合の片鱗というか、かすかな光というか。あぁ、こういう小さな積み重ねで「信頼」が出来上がるんだという安心感がここに。
簡単に内容を説明すると
「主人公である『さよ』が転入した田舎の学校には、いつもヘルメットを被っている怪力の女の子『伊賀』がいた。個性豊かなクラスメイトたちと、時に激論、時にツッコみ、時に相談しながら仲良くなっていくさよ。会話劇による日常学園コメディここに開幕!…と思いきや、世の中そんなに甘くはない」という感じの漫画です。
最初に伝えておかねばならないのがこの作品のジャンルです。日常系、ギャグ、能力もの、サスペンス、暴力、そして百合。なんとこれらの要素が全4巻の中に全て詰まっているのです。この情報すらもネタバレだと思う方もいるかもしれませんが、これは「日常系ギャグ漫画だと思って購入したのに、途中から不穏な空気になって楽しめなかった」という読者を生み出したくないという気持ちが私の中にあるため、先に話させていただきます。
1巻の最初と4巻の終盤ではまるっきり作品の雰囲気が違うのですが「一体どこから、なぜ、どのようにして」作品内の空気が変わっていくのか、それを実際に読んで確かめてみてほしいのです。こんな体験をたった4巻で味わうことが出来る漫画は、他にそうはありません。しかも2022/8現在、広大なネットの海を探しても「これだ!」と思う決定的な考察もまだ見つからず。
私はこの記事で「私に出来る角度からの紹介」「私なりの考察」そして「2022/8/21に行われた完結記念トークショー」についてここに記したいと思います。どこかの有名な考察系YouTuberが「スペシャル」を紹介して、考察して、何かの拍子でバカ売れしないでしょうかね。そうすれば世の中に「いがさよ」の素晴らしさも伝わるのに…。
まずはこれを読んでくれている(であろう)あなたに、この作品の素晴らしさ、面白さを伝えられたらなと思います。主に「百合」と「言葉」を中心に。
「百合」に関して。さよと伊賀の二人が、胸が締め付けられるほど尊いのです。尋常じゃない。もしかすると他の読者は「百合」だと感じない可能性もあるのですが、私にとってはドンピシャ。「え?最初の一撃でラスボス死んだ?」みたいな衝撃。しかもそれを構成するものは主に「言葉」なのです。私が知る限り、ここまで百合を明確に言語化してくれた作品は他にありません。言葉をもって「百合」を表現する、というのはどういうことなのか。以下の「感想」で詳しく触れたいと思います。
ただ一つ、端的に言えることは「作者であるイコルスンさんは凄まじい百合観の持ち主」であるということ。もし全く自覚がないとすれば、今すぐこのまま百合漫画を描いてほしいとさえ願う。私が漫画編集者であれば「あなたは百合で天下が取れる」と力説することでしょう。
そして「言葉」。この作品において「百合」を表現するために「言葉」は必要不可欠ですが、逆はそうではない。この作品においての「言葉」という要素は「百合」を抜きにしても非常に魅力的なものなのです。
普通の漫画ならばカットされるであろう「言葉の言い直し」、普通の漫画ならば丁寧に説明する部分をあえてカットして進む会話、「今の言葉ってどういう意味だったんだろう」という疑問(意図ではなく意味。あるキャラが、本当に『相手の発した言葉の意味』を理解せずに話を聞いているシーンが出てくる)、相手の心の「デリケートな部分」に一歩踏み込む時の不安や心配、不躾な言葉を発してしまったあとの瞬間的な後悔、などなど。作者であるイコルスンさんの鋭敏な観察眼によって紡がれる、漫画的ではない会話劇。
リアルなのかどうかは置いておくとしても、確実に「他の漫画では普通はやらない会話」が多く出てきます。だからこそキャラクターの解像度が上がり、本当に生き生きして見える。
「ずっと白いヘルメットを被っている伊賀」がこんなに可愛く見えるなんて。「キャラの設定的な魅力を、言葉で説明しづらいさよ」がここまで愛おしく見えるなんて。最初は「シンプルな絵柄」「どう面白がれば良いのか」と思うかもしれませんが、安心してください。この漫画はとんでもないパワーを隠し持っている、最高の傑作なのです。
・あらすじ
とある高校に転入してきた「さよ」こと葉野小夜子は、ヘルメットを被ったまま日常生活を送るクラスメイト・伊賀と出会う。伊賀は「怪力すぎて周囲のものを持てない、触れられない」という不思議な体質を持っていたが、他のクラスメイトも「教室にどんな物でも持ち込む金持ち」「レギュラーガソリン大好き女子高生」「とにかく豆をかじり続ける男子」「その男子をつねりつづける女子」など変わった友達ばかり。作者・平方イコルスンの卓越した言語感覚から繰り出される「独特な台詞のかけあい」、そして個性的でちょっと面倒臭そうだけど愛すべきキャラクターたち。しかし世界は常に不穏で、攻撃的で、隔てられている。気がついた時にはもう遅い、喜劇と悲劇はこんなにも親しいものなのか。そして待ち受ける衝撃のラスト。
・感想
「凄まじい百合観」と先ほど紹介したのですが、何が凄いって「伊賀とさよは手を繋いだり、ハグしたり、キスしたり、告白したり、そういう行為を一切していない」のです。
私は「人は知っている言葉しか使えない」という言葉(意見、感覚?)が好きです。いつどこで、誰から聞いたのかはもう覚えていないし、言われるまでもなく当たり前の事。もしかすると地球上の人間全員が知っている、もしくは漠然と理解している事かもしれません。しかし私は、この言葉を聞いて以来ずっと「言葉による表現」を模索し続けています。ここで言うところの「使う」とは話すこと、聞くこと、理解すること、伝えようとすることなど多岐にわたります。
この漫画の作者である平方イコルスンさんは元々小説を書かれていた方らしく、その言語感覚はえげつないほど洗練されているように思います。私は今作を「百合漫画だ」と全力で推薦する人間なのですが、人によっては「特別な行為が無いのだから、ただの友達だろう」と思う人も居るかも知れません(ここでは便宜上そう書いているだけで、そんな人は地球上に一人も居ないという可能性に賭けたい気持ちもあります)。
確かに他の百合漫画では「他に人にはやらない特別な行為」を「恋愛感情とは別の感情」によってしてしまう、という描写は多いです。むしろ、「百合」とはそれをするためのジャンルだと言っても良い。しかしイコルスンさんはスペシャルを百合漫画だと思って描いていない可能性があるため、ここでは「私が勝手にそう思っているだけ」であるということを強調させていただきます。
では私は何を持って百合だと感じているのか。それは私の百合観にあります。私の百合観には「舞台は閉鎖的な空間ではない方がより良い」「一緒に居ない時に相手のことを考える時間が多いとより良い」「『私はこう思っているけど、相手はそう思わないかもしれない』と二の足を踏むとより良い」「異性の友達もいるとより良い」「意見と行動が真逆になってしまうとより良い」という感覚があります。
この作品の読者にはもうお分かりかと思いますが、これらはまさに「いがさよ」なんですね(伊賀とさよの関係の総称。主に伊賀から交流や会話の起点があるという意味)。イコルスンさんはこれら全てを「特別なスキンシップ」無しでやってのける。あえて言うなればワードシップ、センスシップ、シンキングシップ(人生で初めて使った造語です、実際には無い言葉です)を用いることで「いがさよ」を完成させているのです。
例えば作中では「伊賀がさよを誘い、大好きな煙突を見に行って写真を撮る(さよは特に興味は無い)」「伊賀は一人では本が読めない(破ってしまうから)ので、さよの好きな本をさよに持ってもらい一緒に読む」「知らない言葉を聞くと無視してしまう伊賀のため、難しい言葉を易しい言葉に言い換えて話すさよ」「伊賀に関するセンシティブな話題になった時、頭の中で『その話題に触れるべきか、触れないべきか』を必死で考えて結局触れないさよ」など、言葉や感覚や考えを十分に使い、伊賀とさよは相手を理解しようとする。
肌で触れ合うスキンシップは素敵なことかもしれませんが、ちゃんと「相手を慮る(おもんぱかる)こと」が出来る二人は、それをちゃんと出来てしまうからこそ一歩踏み込めないところがある(伊賀の場合は怪力のせいもあるでしょう)。
そこで大事になってくるのは言葉や話題のチョイス(ワード)、自分の持っている「人と違う感覚」を相手に伝える手段や勇気(センス)、自問自答で自分の意見をまとめたり相手の立場に立って考えること(シンキング)、といった要素なのだと思います。
イコルスンさんはこれら3つの「非スキンシップ」の扱い方がべらぼうに上手いおかげで、キャラの思考や行動理由がはっきりと言語化されているシーンが多いのです。明言されていないシーンでも、おそらく言語化は可能でしょう。
さよも伊賀も、お互いたくさん会話をするのですが、二人共とにかく具体的に言葉に表すのです。女の子二人が思いや感覚を「言葉を使って」伝え合い、気持ちが通じ合う。そして惹かれていく。そのプロセスが明確だからこそ「相手のどういう所に惹かれたのか」が非常に的確に読み手に伝わるのです。
これはおそらく読者目線でもそうで、伊賀、さよ、ひいては「スペシャル」という作品を好きになったのかという理由もまた、言語化しやすいのではないでしょうか。だからこそ私は、こんなにも長文すぎる感想を書いてしまっているのですが…。
そしてそれは「百合」の言語化にも繋がると思うのです。「私」が「あなた」に惹かれる理由、肌の触れ合いを求めなくてもあなたの内面を知りたい・分かり合いたいという人間的(文化的?)な興味など、直接的な恋愛感情・恋愛表現とはまた違ったアプローチで「人と人が惹かれ合う引力」を描く。
しかし私は「現時点で知っている言葉しか使えない」ため、その「人と人が惹かれ合う引力」のことをつい「百合」と表現してしまうのです。私が知る限りの言葉で、最もその状況・性質に合致する言葉が「百合」だからです。
もしかするともっと他に、もっとぴったりの言葉があるのかもしれない。他の人の百合観をもってすれば、この言葉はふさわしくないのかもしれない。しかし私にとって、この「引力」を的確に言い表すための言葉は、未来永劫「百合」以上に相応しいものが見つからないかもしれない。
私は、これまで培ってきた「自分なりの百合観」にこれほどまでにマッチした作品を他に知らない。私は本当に衝撃だったのです、百合というあやふやな感情は「ここまで言語化することが可能だったのか」と。しかしこれはもしかすると、他の百合漫画ではここまで明確に百合を言語化しようとすらしておらず、イコルスンさんの感覚や思いが「私の百合観」というフィルターを通って目の前に現れたときに初めて成立する「特別なもの」なのかもしれない。私はイコルスンさんの作品を今回始めて読んだので、他の作品もこれほどまでなのかどうかの判断が付きません。
そこで私はふと気づくのです。この作品を読んで的確に言語化された、他とは違う特別な「百合」という感情。きっとこの文字の読み方こそが「スペシャル」なのだと。百合と書いてスペシャルと読む。それこそが、かけがえのない「伊賀とさよの関係」を言い表す最も的確な言葉なのだと。
「人は知っている言葉しか使えない」からこそ、新たに知った言葉は新たに使えるようになる。あなたは「スペシャル」を読み、新たに何を知るでしょう。もしそこに「かけがえのない感情」を見つけることが出来たのなら、あなたも是非それを言語化してみてください。きっと一生物の宝になることでしょう。
なるべく本編を読了後にお読みになってください
ちょっと変わったクラスメイトがたくさんいる学園ものコメディ。顔つきや目の書き方がどのキャラも大体同じなので、最初は見分けを付けるのに苦労しました。
伊賀の「怪力すぎて日常生活の行動が制限される」という妙な設定ですが、どんどん妙なクラスメイトが出てくるのでその異様さはどんどん軽減されていきます。主人公である「さよ」は転入生なので伊賀の怪力はもちろん、ヘルメットも気にしてしまいますが、昔から伊賀を知る人達はもう慣れっこでもはや日常と化しています。
第5話の「好きなかたち」あたりからじわじわと「あぁ、この漫画はそれぞれの『好き』を否定しない漫画なのか」と思い始めました。第7話の「かきかねて」あたりから私の中の百合センサーが反応し始めます。ここからしばらくは、さよが「伊賀に気を遣いすぎて悩んでしまう」という展開が結構出てくるのですが、どうやらふじさん(ガソリン)は伊賀の秘密を知らない模様。でも「壊したものは国から修理費が出る」という情報は知っている。不思議な距離感です。
第10話「浮きヘル」では、伊賀が津軽という男子のことが好きだということが判明。83Pの4、5コマ目がめちゃくちゃ「百合の空気感」醸し出していてヤバいですね。ため息出ちゃいますね、急にこれやられると。
しかも「照れるとヘルメットが浮く」という伊賀の謎設定。この辺りから、大石が伊賀についてかなりキーマンである(他の人が知らないことを知っている様子)ことが徐々に分かってきます。しかも「浮きヘル」はギャグかと思いきや、なんだかシリアスな謎が隠されている雰囲気が…?!
第12話「骨より髪」で、さよは急に髪を短くして登校。大石とシルエットが似てしまいますが、眉毛の内側がゲジゲジ、目尻が下がっている方がさよです。「なぜ急に髪を」と最初は思ったのですが、後々思い返すと「さよ=ショートヘア」といういイメージになっていますし、タイミングがなぁ…なぁ…?というね。
第13話「強靭な水」にて、伊賀の「じゃあさよちゃん、(海や川に)連れてってくれる?」という問いに歯切れの悪い返答をするさよ。髪を切る前なら「良いね、一緒に行こうよ」と言えたのかなと、つい考えてしまいます。そしてしれっと存在感を見せてきていた谷。第15話「波」で大石とそういう空気を見せつけてきて「えっ?!これそういう要素もある漫画だったの?」と驚きます。冷静に考えると「いがさよ」がこんなにも素敵な以上、「それ」は可能なんですよね。作者の手腕的に。とか言ってると、ほらね。会籐と築前も急に「そう」見えてきてしまう。
そして私が1巻で一番好きなのは第19話「特別」です。ここまでに「伊賀は思ったより頭が良い」「しかし本が破れてしまい読書が出来ないため、現国は苦手」という情報は出てきたのですが、いきなり第19話で「さよが持参した本を伊賀と一緒に読む(伊賀の代わりにさよがページをめくる)」というシーンが。
平方イコルスンさん…ちょっとね、こんな凄いシーンを何の前触れも無く入れないでくださいよ。衝撃が凄いんだから、死角からのハイキックみたいな、ね?気を失ってしまうので、こっちは…。ありがたいですけれどもね…。
しかもそのお礼に「伊賀の力を持ってしても、固くて抜けない槍(お気に入り)」をさよに見せてくれる伊賀。この伊賀の「『あなたの好きなもの』を教えてくれた代わりに『私の好きなもの』を教える」という気持ち、そしてそれに対する「『あなたの好きなもの』を私はあなたほど好きにはなれないけど、『好きなもの』で楽しくなっているあなたを見るのは好き」というさよの気持ち。本当に、驚くほど百合。私の百合観にベストマッチしていて、私はもうこの「1巻ラスト付近の第19話」で心をガッチリ掴まれました。マイベストフェイバリット百合ですね、これは。
第20話でしれっと明かされる「二週間、検査入院をする」という伊賀の予定。またもや気を使って悩んでしまうさよと、悩まれていることに全く気づかず変なことを考えてしまう伊賀。百合という概念を知らない二人は、もっと他の言葉で「かけがえのない気持ち」を表現します。この漫画的に言えば同音異義語ならぬ、「異音同義語」でしょうか。
私はすぐさま、2巻を購入するのでした(まさかここまで面白いとは思わず、最初は『試しに1巻だけ読む』予定でした)。
なんと2巻はいきなり2連チャンで恋愛絡みの話(?)。いろんな感性で恋愛やっているな、というのをまたしても上手く言語化してくれて私は嬉しいです(私も、何かと言語化するのが好きな人間なので)。
そして徐々に明かされていく大石家の状況。伊賀とは違うヘルメットの集団(大石の護衛的な人たち?)とラスボス(おばあちゃん)が大石を監視していて、その状況をよく知るのは谷であるという図式。谷は頻繁に大石家を訪れているようです。
まぁ、明らかに良い感じだからな…と考えていると「彼氏居ない組」であるふじさんはその「良い感じ」を察しておらず、考えたことすら無いと返答。というか「どうでもいいと思っている方が安全」だと話します。果たしてこれは、恋愛に疎いふじさんだけがそう思っているのか、他のクラスメイトも「大石について深く掘り下げるのは危険だ」と認識しているのか。私達読者はさよと同じく「この町における大石家の権力や地位」をまだ知らないので、さよと同じ感覚で読み進むことが出来ます。
第26話「扉」ではさよの母らしき人が登場。今まで特に気にしませんでしたが、さよの家庭環境が全然出てこないんですよね。伊賀の父は出ましたが。「一人暮らしをしているさよの所へやってきて、一旦返って明日もう一度来る」母らしき人、なんなんだこれは…。
そして第27話の「目の往来」では槍の近くにカメラがあることに気づきます。そもそも槍って何なんだという話なんですが、これは「この町の人にとって伊賀は当たり前の存在であること」と同じように、どうやらこの世界(少なくとも日本)の住人にとって「槍」は共通認識のようです。最初に槍が登場した時も、さよは「初めて見た、思ったよりでかい」と言い、槍が好きな伊賀でさえ「あたしもこれしか見たことない」と発言しています。現代日本において、何が該当するのか…と考えたのですが、オオサンショウウオとかトキみたいな感じでしょうか。武器らしきものですが。授業とかで習うんですかね、槍について。
改めて第27話を見てみるとさよは「これが放ってあることの方が謎」と言っているので、本来はこんな山の中に刺さっているものではないことが分かります。「山に刺さった槍の変化」を監視していたのか、それとも「槍を触って楽しんでいる伊賀の様子」を監視していたのか。これに関しては伊賀がいつから怪力になったのか、いつ槍を見つけたのかが分からないのでなんとも言えません。
この「伊賀の怪力関連の謎」と並行する形で、会藤と築前は結婚を前提にお付き合いを開始していました。しかし私と同じく、さよと伊賀も「特に興味無し」だったのには思わず笑ってしまいました。津軽も気づけば浦先生に猛烈アピールしていますし、私としてはもっと恋愛方面の広がりも見たいところです。
とか言っていると、第32話「訊ねるまで」の破壊力ですよ…。「自分は他のクラスメイトよりも伊賀と仲が良い」と思っているし、実際二人だけの時間や秘密も共有しているさよ。しかし「ずっと連れ添ってきたクラスメイト」にしか共有されていない「何か」が明確にありました。それは当然、ヘルメットに関すること。濃度や密度よりも、時間の長さが優先される「何か」を目の前に、疎外感を感じるさよ。
105Pの3コマ目、非常に百合。狂おしいほどの百合。そして第33話「訊ねてから」では、初めて伊賀の口から「事故で負った頭の怪我がトラウマで、ヘルメットを被って頭を隠している」ということが語られます。そして同時に、大石とさよ、大石と伊賀の関係も見えてきました。さよや読者にとっての「大石の株」がちょっと上がると共に、大石が伊賀にとって特別な存在であることも分かりました。
城下が急にさよのことを気にしだして「いや、こっちとしては君のこと何も知らないんだよね。急に出てきて参戦出来るほどのポテンシャルある?」と心配に。うーん、結果としては「城下はさほど魅力的なキャラではない」ですが「城下の言動がきっかけで、いろんなものが動いた」ので良しとしましょう。
大石は明らかに「谷がさよを狙っている」と勘違いして、本人も気づかない内に嫉妬してしまっています。しかも同時に「大さよ」の気配も感じるとともに「谷は私とは付き合えないが、さよちゃんとなら付き合える(安心して谷を任せられる)」という大きな感情のうねりもまた感じます。
上記の理由により、城下はまぁ許しましょう。しかしこいつ何やねん、この妙なイケメン。さよのことを「抱ける」とか、本当にこいつ…「百合の間に介入しようとする男」が辿る末路を知らんのかお前は…。
第37話「音だけ」で早速口直し!「どごぉっっ」は百合の音ですね、完全にブチのめされたという。完全に「百合を自覚してしまった瞬間」を「音だけ」で表すと「どごぉっっ」になるというシーン。合掌。
しかしなぁ、第38話「知り合いが変なことしてる」は…。さよの葛藤や「伊賀を煙突と重ねて撮る」という素晴らしい展開ですが、最後にあの人が登場。さよの表情を信じる限り、良い展開では無いみたいです。どうなる、次巻。
「私は美倉と言います」ということは、葉野美倉という名前の母親…?さよは最後に「一応うちで家事やってくれてる人」と濁しますが、家政婦なのか義母なのか…?さよとの距離感を考えると「お母さんと呼べない距離感の義母」と考えるのが打倒でしょうか。
問題は第40話「限度」です。私はこの作品におけるターニングポイントをこの回だと考えており、ラストの「ヘルメットに連れていかれる谷」が最後の「笑えるギャグシーン」だと思っています。第41回以降は不穏な空気がどんどん色濃くなっていき、ギャグシーンでも素直に笑えなくなります。
谷も流石にラスボスから本気の詰問をされるのは初めてだったようで、大石も割りと本気で困ってしまいます。「放場(はなちば)」という謎ワードが飛び出しますが、会話の前後から察するに「大石家にある、槍が保管されている部屋」でしょう。
谷は「おじいちゃんみたいな見た目のおばあちゃん」に「大石と付き合う覚悟」を聞かれますが、なんと「今はまだ無い」と答えてしまいます。「あいつの親はあかんかった」「大石に触れた時間が一時間を超えたことが理由で拉致された」が何を意味するのか、今の段階では全く分かりません。
しかし、ただ一つだけ言えるのは「大石はラスボスから『あの男は龍代と本気で付き合う覚悟はないと答えた』と聞き、ショックで部屋から出られなかった」のだろうということ。素顔のヘルの「そんでその責任軽い方を選んだのはお前やろ」という台詞、今まで読んだこの漫画の台詞の中で最も痛い。もしかして、もうあの空気感には二度と戻れないのかなと嫌な予感がします。
ふじさんの夢恋愛エピソードはもはやオアシスのようなものなのですが、三上(百合に無理に介入しようとする男)はなぁ…。こいつが出てくると伊賀もさよも不愉快な気持ちになり、自動的に私も嫌な気持ちに。それどころか三上も嫌な気持ちに。得が本当にゼロ。津軽と谷はまだ良いんですよ、可能性があっての「コチラ側」ですから。
そして第47話「起点さがし」にて急に登場する新キャラ・二葉。この展開も「他の人から見ると、さよと一番仲がいい友達は大石」だと思われている描写は以前あったので、大石が別クラスに移動した今となってはリアルというか、なんというか。
さよは話しかけやすい性格でしょうし、伊賀や大石以外の人とも上手く会話ができるタイプでしょう。そして大石は第11話で「今まで伊賀のこと大事にする人間って殆どおらんかった」とさよに話しています。以前からずっと伊賀のことを知っている二葉からすると、さよと伊賀が仲良く遊んでいる姿が想像できないのでしょう(怪力はもちろん、趣味についても?)。
第48話「過渡的親密」もかなりなんというか、ポイントになる回でしたね。二葉が「撮影に混ざりたい」と言ったあとの伊賀の目線には「同志が目の前にいる」という意味も少なからず含まれているでしょう。しかしさよは、さりげなくではありますが拒否の空気をまとわせた「前向きに検討する」というような返答をします。なんだろうな、このリアルなやりとり。
「過渡的親密」は台詞のやりとり、その全てが「百合の言語化」のような話で、本当に傑作の回。さよも伊賀も、精一杯自分の中の感情を相手に伝えようとします。「あなたのことが好きだから負担じゃない」と「あなたが好きだからその負担を少しでも減らしたい」の交差。「過渡」とは「新しいものへ移りゆく途中」の意味。二葉がここに加わることは必ずしも悪いことなのでしょうか。
と思っていたら88P!おい、美倉おい!なんか不穏な空気が!二葉おい、前言撤回!お前があそこに加わるのは、必ずしも悪いことだよ!やめろ!金欲しさにかきまわすな!
中盤以降からメインになる「放場に忍び込む計画」ですが、なんだか予想以上に物騒な展開に。普通に「危ない橋」を渡るようです、結果的にそうなってしまったとはいえ(当初は安全な橋だった)。そこまでのことを?!と思いますが、大石にとっては「そこまでして、伊賀の力を借りてまで谷を助けたかった」ということ。
二葉が計画に参加することによって(金のため)一気に具体的に話が進みます。それは良いとして、なんですか親パート。私としてはさよの父親らしき人が「あの感じ」だったのが非常にショックというか…。話の流れからすると「伊賀父を飲みに誘った人」は伊賀父と同じ会社の人(槍の研究?)、伊賀父は伊賀のことをレポートにまとめていて協力会社(役所?)にはさよ父がいる、伊賀のことを調べる日と槍を調べる日は別、という感じでしょうか。
もし美倉が義母(さよ父と再婚)だとすると、さよ父は美倉と共犯なのか、美倉の単独行動なのか(内容は具体的には不明)。もしかすると、さよ父がわざと伊賀のいる学校へ娘を転入させた可能性も出てきました。
計画は進み、谷と大石のターン。ビンタのあとは「ヘルメットたちに聞かせるための演技」だと思うのですが(大石が全ての首謀者だとバレないようにするため)、おそらく「覚悟はまだ無い」と答えた谷に対する不満は確実に混じっているでしょう。たった146Pの1コマ目、たった1コマではありますがたったこれだけで抜群の破壊力があります。絵の力。ヘルメットたちも悪い人たちではないので、演技だとバレていても効果はあるはず。
そしてラスト、放場での槍について。「昔はずらっーと槍が並んでいたが、今は一部屋に一本になっている」と証言する伊賀。「放場にある槍」は「山の槍」とは違い、もっと良い!と喜ぶ伊賀ですが、なんと鼻血を出しながら「浮きヘル」に。ギャグじゃなかったのか、あの描写!怖いことする作者やで…。
嗚咽しながら倒れてしまう伊賀、その衝撃で外れるヘルメット。その下には「小さな槍」が伸びています。どういうこと?!津軽と会って照れていたときの浮きヘルも頭の槍が原因…?それとも、津軽は「放場の槍」より軽微ではあるが「伊賀の体調を悪くする性質」をもっていたということ…?私はすぐさま4巻を読み始めるのでした。
はぁっ…そう来るか…。第57話「迂回(停止)」では、あの事故の後に伊賀が入院していることが判明。その間に、クラスでは新たな友人関係が築かれていきます。アプローチをかけていた二葉はそのままさよと仲良くなり、城下はなぜか太り、谷は新しいメガネを買えずにいる。そして大石はあれから、さよのことをずっと「さよちゃん」ではなく「葉野小夜子」と呼ぶ。最大のポイントは「今のさよの心の隙間を埋めているのは二葉である」ということ。
何やねんお前は!まだ金貰ってるんか?!と思いつつも、第58話「無謀ごっこ」では二葉は思ったよりもさよのことを理解している描写が。どうやらさよは、伊賀が意識を失っている時に一度はお見舞いに行ったようです。しかも何だよ、この「私はさよがお見舞いに行くことは伊賀にとっても、ハノにとっても良いことやと思うで」という親友ムーブ。さよの愚痴聞いてんなよ!という気持ちと「今のさよには二葉みたいな人が必要なんだ」という気持ちが綯い交ぜになります。
急に決まった予定ではありますが、無事に病院に着いた二人。見張りの人と二葉の気遣いによって、やっと伊賀と二人きりで話すことが出来るさよ。第60話「イージー」はまるごと百合です。濃縮還元の百合、凄いですよこれは。「相手のことを思うあまり」の二人、本当はもっと簡単なことで良かったんでしょう。親友なのだから、もっと気軽に聞けばもっと気軽に教えてくれた。悩む必要なんて、本当は無かった。仲良くする資格なんて、とっくにあったのだから。
「起きたら…おらんくなってる?」「さみしい?」「でも…帰るんやろ?」「それはどうかな」このたった2往復のやりとり。もしここが和牛品評会だったら「百合牛」の採点は満点になってしまいそうなほど、素晴らしい「百合の言語化」。新たな和牛ブランドの誕生です。
そんなことが起きている裏では、二葉が美倉と取引。どうやらこれが最後らしいのですが、二葉にはその理由が分かりません。自分の行動の何が評価されているのか、何が起きたから終わったのか。気づけばさよと仲良くなっている二葉は、美倉のことだけでも伝えようと電話をしますが、なんと美倉の仲間に監視をされていました。おそらく二葉はもう二度と、口を開くことは無いでしょう。明らかにヤバい空気が漂い始めています。
何なんでしょうね、二人の仲を定期的に伝えることに意味があるのか、結果として伊賀が入院したことに意味があるのか。私にも理解が出来ません。
男子チームは谷が加入したことで「最後のギャグパート」として機能しています。津軽も加入するのか?と思いきや、まさかの彼女疑惑。平和で結構。
そしてなんと第63話「能なら力」ではふじさんのガソリンフェチとしての能力がヘルメットたちに必要とされます。嘘でしょ、あれギャグじゃなくて?3話の時点で「話をこうする」と決めていたとしたら、イコルスンさん凄すぎませんか。第64話、第65話では結構重要な情報が出てきたような気がします。やはり美倉はさよ父の再婚相手で、完全に同居はしていない人だったのでしょうか?
浦先生は多少歪んでいながらも、ちゃんと教育者だったようで安心しました。津軽、お前はもう駄目そうな匂いがプンプンしてるぞ。二葉よりも深いところで利用されるぞ、これから。そういうフェチを隠しきれていないからね。挫けない程度で済めば良いのですが…。
第66話の回想シーンの相手がおそらくさよの本当の母でしょうか。ふじさんはあのヘルと付き合っているようであからさまにノロケて来ますが、今のところ「最後の良心」的な立ち位置なので余裕で許せます。会藤・築前カップルが恋しいよ、豆とつねりで場を和ませてくれ…。
ふじさん、大石、さよ、相沢さん(見張り)、伊賀、伊賀父というメンバーで久しぶりに会うことに。ヘルメットたちに若い新人が加入したり、大人たちが責任を取っていたり、伊賀父が痩せているということは「伊賀が放場の槍に触れたこと」は伊賀父の会社や役所、大石家にとってはかなりの「あってはならないこと」だった模様。
伊賀父に関しては「伊賀の様態があまり良くないことが原因」だという可能性もあります。どっちにせよ、良いことではありません。
第68話「筋ならずとも道」では、谷がヘルメットに加入した「若い新人」の一人であったことが判明。はぁぁ…これをやるために護衛がフルフェイスヘルメット被ってたんだろうなぁ…なんて考えて、またもや作者の手腕に驚きます。全4巻なのに8年間連載してるんですよ、この漫画。
どういう経緯があったにせよ、自分に可能な範囲の「覚悟」で大石を守ろうと決意した谷のことを私は褒めてやりたいです。大石もさぁ…自分の行き届く範囲で、可能な限り厳しく(甘く?)谷に接していますよ。谷には絶対に理解されないと分かっているから「好き」をなるべく婉曲した言葉に言い換えたりして。
悪い意味で一気に話が動く第71話「強行」ですが、美倉は伊賀のヘルメットのGPSか何かをスマホを使って壊したのでしょうか。まさか相沢さんがガチで死ぬとは思っていなかったので(美倉がここまでのことをする人だと思っていなかった)何が起きたのか全くわからないままページをめくります。やはり津軽は騙されて、犯罪の片棒を担いでいるし…。このままノンストップでバイレンス展開なのでしょうか。
第75話「今のうち」、第76話「そういう歩幅」もなかなかの展開です。都合良く「上澄み」だけすくい取ることなんて無理な話で、いつかこうなることを分かっていながらも「こうならないでほしい」と二葉は思っていたのでしょうか。思ったより嫌いになれないキャラです。大石と谷は、これでやっと安心というか。大石の可愛いところが見られて私は嬉しいです。だからこそ、最後のページ…。なんで最後だけこの二人。
どうなんでしょうね、津軽の頬の傷も「槍が刺さって出来た傷」なのでしょうか。潔癖だったり、生き物が苦手なのは伊賀とまた違った「槍」の影響?同じ能力者(槍の影響で身体に変化が起きた者)同士、何か共鳴するものがあるおでしょう。
正直これ以降の話は「何が起きているのか分からない」「理由も分からない」「予想外すぎる展開」という理由から、詳細を省きます。津軽は可哀想ですがいろいろと足りなかったし、そういう意味では美倉も伊賀をナメすぎていたのでしょう。眼鏡たちの方が立場が上らしいので、美倉なりに気を遣ったのでしょうが…。
伊賀は怒りのせいで人殺しになってしまい(思い返せば、失った人命に対するお金も国から出るんでしたね)絶望的な状況で逃避行が始まります。中でも第81話「心の準備」においてのさよのモノローグは、本当に素晴らしいです(ヤバいんですよ、本当に)。この感覚で描かれるイコルスンさんの恋愛漫画を、私はとても読みたい。
そして唐突に訪れる最終話「ブレットプルーフ」、意味は「防弾」のようです。考えはしていたものの、絶対にそうなってほしくない現実が、すぐそこまで来てしまっているという事実。「さよなら」の言葉の代わりにお互いが「あなたにはきっと」と伝えてしまう。「大好きだよ」の代わりに、遠回しに「あなたしかいない」と告げてしまう。
いろんなことを抱えながら、悩みながら、最後の最後まで言いたいことを伝える二人。そして「もっと伝えたいこと」を言いかけた瞬間に無情にも鳴り響くサイレン(避難訓練の時のあれです)。そして終の文字。
おまけ漫画がなぁ…良く描き下ろしでこんなの描いてくれるよなぁ…という終わり方で…。現時点での「こういう世界観?」とか、全体的な感想は「まとめ(2周目)」で書きたいと思います。
ここまでの展開になりながら「何が起きているのか」「何が原因なのか」を描かない作者・イコルスンさん。これは打ち切りではなく、絶対に最初からこうするつもりだったのだと思います。一貫しているのは「ツッコみの量が少ない」ということ。
最初はどう考えてもギャグ漫画だったこの作品、終わりまでの全てが決まっていて序盤のあれらをギャグ「に見せていた」のだとしたらとんでもないことですよ。伊賀の怪力、大石の金持ち、谷の「頼まれたことは全てやる」性格、ふじさんのガソリンフェチなど、それぞれのキャラのおかしな個性。田舎だからなのか、昔から知っているからなのか、笑っているのは読者だけ。違和感を感じるのは読者だけ。彼らは誰一人、おかしな事だとは思っていない。
周りが受け止めてくれるから、その優しさのおかげで辛い思いをしなくて済む。読者である私たちは「これはギャグ漫画だ」という「すべて許される土壌」を信じ切って、第40話(避難訓練の回)まで読み進めてしまう。
しかし第41話(ラスボスに問い詰められる谷の回)で初めて「許されないラインがちゃんとある世界だった」ことが分かるのです。子供だから許されていたこと、大人と子供の住む世界の決定的な違いなどが明確に示され、ちゃんと「本来のツッコみ役」がいたことが分かります。もしかすると大人たちは、子供たちのために「違和感を少しでも抑えるために必死で取り繕ってくれていた」のかもしれない。
問題の「槍」ですが、あれはもしかして「終盤の伊賀」なら抜けたのではないでしょうか。第25話で「二週間の検査」が終わった伊賀は、第47話で「本のページをめくる」ことが出来るようになっています。これは「伊賀の怪力が調整されていた」せいではないでしょうか。
伊賀は定期的に、何度も「山の槍」を抜こうとしていますが、例えばその度に「怪力がどの程度強くなっているのか」を計測されていたら。あのカメラは本来、その役目だったとしたら。伊賀はさよと仲良くなるまで「あそこまで親しい友人は居なかった」と思うので、槍の紹介も他人にはしないでしょう。本来、伊賀の怪力はどんどんパワーが大きくなってしまうもので、それを「山の槍(槍の本来の能力的なものは失われている)」を使って測定する。そして大きくなりすぎないように、定期的に出力調整をする。
ヘルメットで頭の怪我を守っていることと、怪力は本来無関係なものだとすると(頭の傷さえなければヘルメットで隠していない?)、津軽のような「伊賀ほどではないが槍の影響がある人間」は他にもいる可能性がある。伊賀は事故に遭い、その結果怪力を手に入れた可能性があると言っていますがもしかしてその「事故」というのは「槍の近くで遊んでいた時に、頭に槍の一部が刺さった」という事故では無いでしょうか。
さよ父も役所の槍関連の部署で仕事をしているため、この地域の親たちは「槍関連の仕事」をしている可能性は高い。津軽もまた子供の頃に、槍で頬を傷つけたのではないでしょうか。少なからずその影響で、津軽も身体に異変を感じてしまう。
避難訓練では、地下シェルターを使いますが、それは「空からの何かしらの激しい攻撃がある」ということ。美倉は仲間たちと謎の言葉で会話をしますが、あれが単に「どこかの国の母国語」だったとしたら、美倉は伊賀を海外の仲間に引き渡そうとしていた可能性があります。
もし伊賀の怪力が最大値まで強くなり、あの槍を「武器として持てる」ようになれば、かなりの驚異になるはず(伊賀の力を持ってしても壊せないのなら、他のもので壊せる可能性は低い)。最後のサイレンは、美倉たちが伊賀の奪取に失敗したせいでその集団が攻撃を仕掛けてきた、ということでしょうか。
この「槍」にまつわる話が全国的に、世界的に共通なのか、この地域特有(引っ越しをしてきたであろうさよも知識としては知っていた)のものなのかで、話は結構変わってきてしまいます。地球上にもっとたくさんこういう人がいるのか、伊賀だけが特別に「怪力」を得てしまったのか。
それとも「槍」は「それで傷つけられた人間が特殊能力を発現してしまう」という起源だけのものであり、本来「抜けるようなもの」「武器にするようなもの」ではないのか。地球上にずっと昔から存在する謎の物体で、それを管理してきた一族(大石家)が結果として権力者になっただけ、というか。
1巻の途中で判明する「伊賀の好きな人は津軽」というのも、読み返してもどこにも「伊賀の口からそう言われてはいない」のです。「伊賀を津軽と接触させるな」とラスボスから伝えられた大石が、機転を利かせ「伊賀は津軽に近づくとヘルメットが浮くが、それは伊賀が津軽に恋をしているせいだ」と周りに伝えたのかもしれない。伊賀本人も「そういうことだ」と納得してしまっている可能性もある。
読み返して初めて気づいたこと。
二葉は第12話(爪で髪を切ろうとする回)で既に登場していて、普通に会話に参加しています。一応、クラスメイトとして伊賀とさよの様子を見守っていたのでしょう。
第13話では伊賀が「海に行きたい」と発言。そして第67話「ときどき海」でも、伊賀は相沢さんに「海に行きたい」という希望を伝えます。伊賀にとって海は「さよと行きたい場所」になり、だからこそ4巻のおまけ漫画で伊賀は波打ち際にいるのではないでしょうか。あの船からさよが降りてくると信じて。
そして大石は1巻冒頭から(作中ではおそらく幼少期から)「自分は谷とは付き合えないと分かっている」はずなので、それを踏まえて読むと、ちょっと見ているのが辛くなるほど随所に「谷に対しての『好き』」が溢れていますね。
第26話「扉」でテレビに映るニュースは「武器製造工場に動き」と読めるテロップが、しかしその後の「ドーノコキシリマ」という言葉が全く理解出来ません。改めてこの回を読み直すと、さよがそこまで美倉を嫌悪していないようにも見えるため、葉野家の関係がよく分かりませんね。父親のことを嫌っている様子もありませんし…。
奇跡的な事が起きました。私が「スペシャル」4巻を読み「とんでもない漫画に出会ってしまった」と興奮していた日、なんとその日の夜に阿佐ヶ谷ロフトで「スペシャル 完結記念トークライブ」というイベントが開かれていたのです。読んだ直後に、たまたま知ることが出来るという偶然に感謝です。
コロナ禍ということもあって、配信チケットも販売されていたので即購入。結果、約3時間のトークライブで、ファンにはたまらない内容でした。イベントの禁止事項は「ゲスト二人の顔写真の撮影のみ」だったので、「スペシャル」に関連する部分のみ書き起こしてみようと思います。
トークライブ本編
イベント詳細
【司会】ジュンスズキさん(株式会社マンガのカタチ代表取締役 「マンガのハナシ」というイベントの主催なども行う)
【出演】平方イコルスンさん(プレゼント色紙を10枚も準備してくださったり、質問に対する『それは言えないっすね』を練習しての登壇)
【ゲスト】位置原光Zさん(イコルスンさんと親交のある漫画家。代表作は『アナーキー・イン・ザ・JK』『性懲りショートステイ』など)
注意事項は一点。平方イコルスンさん、位置原光Zさんの顔写真の撮影・スクショ画像をSNSにアップする行為の禁止。他は特に禁止事項無し。
ロフトのイベントは「オリジナルメニュー」をお客さんが注文すること出来るのが特徴。今回のメニューはガソリン(レギュラー)、ガソリン(ハイオク)、豆(人生の苦痛を和らげるための豆)の三種類。レギュラーはノンアルコール飲料、ハイオクはアルコール飲料。飲料注文時には、ふじさんのイラストが描かれた紙が貰える(ふじさんの表情が違う)。ロフトは飲食の売上が作家に直結するため、たくさん飲み食いした方が良い(より良い作品を描く資金になる)とのこと。
2つ目の注文からプレゼント抽選券が貰え、たくさん飲み食いするとイラスト色紙(なんと10枚も!)が貰える確率が上がるという仕組み。
ジュンさんの的確な進行と語り口、位置原さんの「一番近い場所にいるファンとしての意見」など、非常に聴きごたえのあるトークイベントでした。ファンからの質問の最中にジュンさん、位置原さんが「被せて質問」をしたり、イコルスンさんと位置原さんの関係がとても素敵でした(冗談抜きで二人のイチャイチャだけのトークライブも聞きたい)。私は恥ずかしながら、位置原さんのことを今回のイベントで初めて知ったのですが、絶対に作品を読んでみたい!と思うほど面白い方でした。
本編(スペシャルに関する部分のみ)
ジュンさんから最初に「あらかじめお伝えしておくと、みなさんが気になっているであろう『スペシャル』の謎を根掘り葉掘り聞いて、一つ一つ解き明かすイベントにはならない。平方先生の言えないこと、言いたくないこともあると思うのでなるべく野暮にならないように。質問は事前にたくさん届いているので、答えられるものについては答えてもらう。会場にあるメニュー表にQRコードが載っていて、読み込むことで質問が送れます」という説明が。
イコルスンさんの緊張をほぐすため、1時間ほどはスペシャル以外の話題で盛り上がりました。位置原さんとの出会い、漫画を描くきっかけ、コマ割りについて、などなど。イコルスンさんと位置原さんは本当に仲が良いようで「お互いが影響を受け合っている漫画家同士の対談」という観点から見ても、非常に面白い雑談でした。
あまりに面白かったので、全文書き起こしをしようかなと思って途中までやってみたのですが「あまりに面白いこと」が理由で自制しました。今回はあくまで「スペシャル」に関する部分だけ、ということで。
位置原さんの「背景を描きたくないから台詞を多くする」とか、イコルスンさんの「自作小説が載っているフリーペーパーを書店に持っていった話」とか、漫画家や作家を志す人にぜひ聞いてもらいたい内容ばかり。どうにかYou Tubeなどでこういう対談、配信してもらえないでしょうかね…。
「ネームの書き方」の話題からの派生で、こんな会話が。
位置原さん(以下、位)「オチまで決まってからネームを描くんですか」
イコルスンさん(以下、イ)「オチまで決まってないと書き出せないですね」
位「スペシャルは最初の思っていた全体像と…こんな確信突く話良いのかな?連載最後までは考えていたんですか?道筋外れたこととかあったんですか」
イ「道は決まってましたね」
ジュンさん(以下、ジ)「8年前から決まってましたか?」
イ「そうですね、ただ変更はもちろんある。どの駅で降りるかは決めている感じ」
位置原さんの好きな話は「さよが聖人扱いされている話」で、それに付随して「さよとふじさんが会話する話」が好き。「ものすごく仲良くなりたい」と思っているわけではないけど結構仲良くなっていってる感じが好き。ふじさんに彼氏出来たのはショックだった、嬉しいけど。
これに対しイコルスンさんは「長くは持たないでしょう…。別れることが幸せじゃなくなるとは限らない」と返答。ファンとしては、これはこれで少なからずショックな気も…。
ジュンさんは第22話「習性を責めよう」が好き。ジガバチの話が出た時「世の中にたくさんある日常系漫画とは一線を画したな」と思った。楽しそうな日常系の裏にある仄暗さ(不穏な感じ)、生半可な作品ではないという感覚になった。
これに対し、以下のようなやりとりがありました。
イ「2巻は遊ばせてもらった。もっと早くそろそろ閉めてくれと言われると思っていたので、この辺はその都度、話を作っている」
位「自分に子供が出来てから、この話が刺さるようになった。津軽は浦先生に何を求めていたのかな」
ジ「この話でグッと読者層の年齢が上がったのでは。人間の営みに関する解像度が爆上がりした」
イ「漫画描く前に、ジガバチの餌食になった幼虫の小説を書きたかった。めちゃくちゃ大変で挫折したが、話はここで出した」
ジ「自信のある話ってあります?完璧なものが出来た、みたいな…」
イ「完璧なものが出来た回は無い…ですが…」
位「言いづらい質問しますね。全部完璧ですよ、お金貰って描いてるんだから!」
ジ「完璧が前提として、お気に入りのエピソードは」
イ「葉野が伊賀のお見舞いに行く回ですね。8Pで良くやったなと思う。万が一打ち切られるとすれば、ここで終わりにしてくださいと言うつもりだった」
ジ「特にこれから影響を受けた、というものはありますか」
イ「漫画に関しては雁須磨子先生。もう、解像度の鬼じゃないですか」
ジ「『あした死ぬには、』は本当にヤバくないですか。あれ読むと凄い、丁寧な暮らししたくなりますもんね。読む度に五徳の油汚れとか磨くんです」
イ「生活リズムとかも考えちゃいます」
位「…あと俺ですよね?」
イ「もちろんじゃないですか、言わなくて良いかなと思って」
ジ「位置原先生は誰から影響受けてるとかって、あります?」
位「僕はこういう質問受けたら、答える人三人決めてて。Gヒコロウさん、竹本泉さん、逆柱いみりさん。(自分は)これからも長編は描けない。本当は長編を描いたほうが良いんですよ、漫画家はね…」
イ「そんなことないですよ」
位「あとがきといえば、俺は竹本泉先生のあとがきに名前出たことありますから。俺凄いっすよ」
イ「僕なんか初単行本(成程)の巻末に、雁須磨子先生にイラスト寄せてもらいましたからね!今でも見返して『マジか!』と思います」
ジ「成程の巻末、めっちゃいろんな人に寄稿していただいてますもんね」
「成程」が会場の物販で販売されている、という話題になり。
イ「是非、紙でお願いします」
ジ「スペシャルから入った方っていらっしゃいますか?(ファンが挙手)1/3くらいが新規なんですね、2/3くらいがかなりのオールドファンということで。巻末には位置原先生も?」
位「そうですね、楽園作家がたくさん載っているんでね」
ジ「やっぱあれ、紙で読んだほうが良いですよね」
位「あれは本を手に持っててほしいですよね。編集長が『ちょっと大きいサイズで単行本を出す』と言った時、俺は『素晴らしい。凄い良いことをしましたよ』と言ったほど。書店に置きにくいとか難しいところもあるかもしれないですけど。みんな手に持っておいた方がいい、良い本ですよあれは」
プレゼントコーナーでは抽選で10枚の色紙をプレゼント。とある小さな色紙(ジュンさんのこのツイート、二枚目の画像。一番下真ん中の色紙)が選ばれ、紹介のためにスクリーンに映し出された瞬間、ザワつく会場。
ジ「良すぎますよね、良すぎる…」
位「うわぁ…えっ、今の絵、解説してもらいたいくらい。どういうことですかあれ?」
イ「正直僕も、一人用の色紙としてはやりすぎたかなと思っている。もっと広げるものにすべきだったなと思っている」位「メッセージ性が強すぎるんだよなぁ」
本編を読んだからこそ分かる、この小さな色紙の絵の破壊力。良いんですよ、これから広げてもらっても…。ファン感涙の1コマでした。
基本的にジュンさんが質問を読み上げ、イコルスンさんが答えています。たまにジュンさんや位置原さんが質問を重ねて、その質問にも答えるという流れです。
実在する方言ではなく、日本語では無い「実在しない言語」です。それをひらがなに置き直している。言っていることは決まっています。
おっしゃる通り、大石の方便です(実際は共振現象)。
位「やはり!僕は見抜いていましたよ!」
あえてヒヤッとさせようとしてはいない。こうなったらこうなるだろう、というだけ。
二葉の姉は、夜が遅いので「眠たいから怒った」だけ。
長くなってもいいですか。元々は伊賀の話で、連載ギリギリまで葉野はいなかった。全1巻、2巻くらいだろうと思っていた。伊賀と槍と大石たちの話だった。
葉野がいなかった初期も、終わり方は一緒(あっちの方向に行くことは決まっていた)。降りる駅は決まっているが、泊まる宿は決まっていないみたいな感じ。途中から、葉野が同行することになった。そこから伊賀と葉野の話になった。
1話のネームが通らなかった。最初から伊賀、大石、ふじさんの内輪ノリが続いたからボツだった。葉野は根っからの性悪、めちゃくちゃ嫌な奴にする予定だった。でも最後は伊賀だけの話にする予定だったので、葉野は途中でいなくなる予定だった。しかし早い段階で葉野を合流させ、あのオチにすることが決まった。
葉野がいないラストシーンを考えていたが、それをやっていたらめちゃくちゃ「とっつきにくかった」と思う。嫌われていたと思う。
出来るか、で言うと…難しい。入れようと思って入れられなかったので言うと「ちょっとずつ強くなっている」。やろうと思えば、厳密に言うと「ただ強い」だけでは無い。究極な話、時間さえかければ何でも壊せる。
「富士山」と同じだから、と小学生くらいのときになった可能性が…。
位「この質問者はふじさんは『さん付け』するに値しない人物だと思ってるんでしょうね。大石さん、じゃねぇのかと。決して秀でた存在じゃないと思っているんでしょうね」
あの結末を先に想定した。最初はもっと短い想定で、日常ものとしての体裁をほぼ取っていない漫画だった。
第1話のネームは、最初から槍や美倉が出てくるものだった。葉野が出てきたことで、スタートが日常ものになった感じ。
葉野(さよ)ですかね。めちゃくちゃ描きやすい。今後描く作品で葉野みたいなキャラが出てきたら「またやってるな、書きやすいんだな」と思ってください。
全部ギザギザになるくだり、あれはやりすぎたなと思っている。あんなことをしたらそう思われますからね、どうなってんだよと。最初は「整ってない眉」くらいだった、最初はそんなにギザギザしてない。
2巻くらいで担当から「最近、さよの眉がかなりギザギザしてますね」と言われ、「言うほどでしょ」と1巻を読み返したら全然ギザギザしてなかった。漫画表現として受け取ってほしい。
どのみちサイレンは鳴るが、美倉たちのせいでサイレンが鳴るタイミングは早まった。
その質問をはぐらかす意味でもこれ(没ネーム)を紹介します。「葉野がいなかった最初の構想」では美倉は伊賀の家に居た。伊賀父と美倉の関係は、葉野父との関係とは違う。スペシャルは元々、伊賀父と美倉の関係性からスタートしている。
位「どういう関係かなぁ…愛人かなぁ…」
イ「あっ!(没ネームのデータ)無いですね、入ってないですね!」
位「Twitterにあげてくださいよ!みんな気になってモヤモヤしますよ」
イ「勇気が出たら…」
それは言えないですね…。
イ「あります。恥ずかしいなぁ…。最終話のタイトルが曲名なんです。ブレットプルーフ」
位「(すかさずスマホで検索する位置原さん)BTSが出てきちゃう!誰の?言ってよ~!困る、困ります!言っときましょうよ、困るから!」
イ「This Is The Kitというバンドです、海外の」
ジ「あっ!あれだ!さっき会場で流れてた曲?!阿佐ヶ谷ロフトの担当が平方さんのTwitterをめちゃくちゃ掘って、好きな曲を探してかけてた」
イ「僕が頼んだんじゃないですよ。ジャンルはフォークに近いです」
位「これがテーマ曲ということか、メインで聞いてらっしゃった…」
イ「それもちょっと違うんですよね。最終話はブレットプルーフなんですけど、ずっと自分の中で『スペシャルのネームやるまえに絶対聞く曲』があって…」
位「教えて下さいよぉ!」
イ「良い人だなぁ…。ローラ・ギブソンというアメリカの歌手。『Empire Builder(エンパイアビルダー)』という曲が歌詞も含めてスペシャルを引っ張ってくれた」
位「買います!こういうの大事ですよ」
ジ「みんなこれを聞きながらスペシャルを読むんです」
※これに関してはあとで補足(紹介)します。
考えたことは無い、フィーリング。こもろ(長野県)という地名が可愛いから。
藤村だけは島崎藤村から取った。最初は島崎だったが、藤村になった。
気分悪くする人もいるかもしれないが、作品に「テーマがある」のが好きじゃない。でも「こういうことを表現したいな」というのはある、スペシャルにおいては「喪失感」だと思っている。
喪失感を与えられることが好きだから。現実で受ける喪失感は耐えられないが、創作物から得られる喪失感…私はこれに限った話ではないが、創作物は現実に対する予行演習だと思っている。現実で喪失感を味わう前に「創作で味わっておいて良かった」となる。しかし喪失感わざわざ描くなよ、という人もいる。
なんで喪失感を描きたいのかなと思ったら、自分は幼少期に絵本で喪失感を味わった経験がある。その時の感情が忘れられなくて、あれがやりたいのかなと思う。「ぼく食べないよ」という絵本。サバンナのライオンの話(イコルスンさんがあらすじを教えてくれたのですが、とんでもない内容の絵本だったので是非調べてみてください)。
5、6歳の頃に読んだ多くの絵本、あらすじは覚えていないがこの絵本だけ覚えている。あのときに抱えた感情を、今になって人に渡そうとしている。君、手ぶらじゃん!って思って。それがやりたかったんじゃないかと、最近思う。絵本は絶版なんですけど…。
言えないですね…。そこまで描くかもしれなかったというのはある。巻末漫画とかで。
30後半。童顔ですね。浦先生も同じくらい。
作中でってことですかね?積極的に出る展開になる前は、別グループにもちろんいた。
音楽の話が出来た、ということで葉野と仲良くなった。
モロにパーカーを着せちゃっているので、読める人がいたらバレる。美倉に報告する時に着ている。
ありますね、出てないんで言わないです。
会話は自分の体験が元になっている。ネーム作業の基本はそれ(語順や選出)。
出戻りでは無いが、最後に余裕がなくなり標準語からちょっとズレたイントネーションになるのは意図してやっている。
何らかの管理がされているのが普通だと想像できるが、のちに大石家のような私人が管理することはあったのか。それは力があるから大石家が管理したのか、管理するから大きな力や責任が生まれたのか?個人的には後者な気がする
(質問を全文聞く前に「大石家と槍について」を聞き)
イ「論文ですか!」とツッコミが。
あとで研究室で…。そうではない(大石家の力が槍を管理することによって、ではない)とだけは言っておきたい。
ありません!
位「webで公開とかしてくださいよ!Fanbox!」
イ「見せたくないんです」
御慈悲を!無いです!
表情です。葉野の苦笑いが一番楽しい。終盤、苦い顔はするが苦笑いは描けなくて寂しかった。
Laura Gibson 「Enpire Builder」(ローラ・ギブソン 「エンパイアビルダー」)
イコルスンさんが「スペシャルのネーム」をやる前に絶対に聞いていた曲。
歌詞も含めて、スペシャルを引っ張ってくれた曲とのことです。
This Is the Kit 「Bullet Proof」(ディスイズザキット 「ブレットプルーフ」)
最終話のサブタイトルにもなった「ブレットプルーフ」です。
This Is the Kit 「She Does」(ディスイズザキット 「シーダズ」)
これはイコスルンさんの「スペシャル4巻」の宣伝ツイートです。収録話のタイトルをよく見てみると、最終話「ブレットプルーフ」のあとに「シーダズ」の文字が。これは4巻のおまけ漫画の元々のタイトルなのではないでしょうか。
いろいろ調べた結果、私の中では「シーダズ」は「She Does」であり、これもThis Is the Kit の曲から取ったサブタイトルなのではないかということに。どういう理由があったか分かりませんがサブタイトル「シーダズ」は、単行本化の際に無くなりただの「おまけ漫画」に。
私にとっては「She Doesの歌詞や曲調」がこういったものであったことはかなり嬉しい要素でした。詳細は以下の「トークライブを踏まえて」にて。みなさんも是非、歌詞を見ながら聞いてください。
カツ丼さんの感想「高校生の頃にスペシャルに出会い、ずっと単行本で追って、今は大学2年。高校生の頃、同性に恋をしたことがあり、そのような意図(おそらく百合描写について)があったのかは分からないが、つい「人に歩み寄る際の段取りが多くなる葉野」と自分の姿を重ねてしまっていた。だからこそこの作品の結末は、登場人物たちにとっては酷いものであったが、俯瞰してみると葉野はかつての自分がそうだったように「何も起きなければそのまま伊賀に本心をぶつけられずに離れ離れになっていたのかな」と思い、切なくなった。長々と自分のことを語ってしまいましたが、8年間の連載お疲れ様でした。誇張などではなくスペシャルは漫画を超えた存在です。この作品を世に出してくれてありがとうございました。」※この方はプレゼントコーナーで名乗り遅れ、色紙を逃した方です
位「分かる!」
イ「ありがたいですね。生きてて良かったです、描いて良かったです。」
感想「葉野が暴漢を言い直すシーンが好きです」
イ「多分、山に行くシーンかな」
位「言い直そうとしてそのまま言うシーンもありますもんね」
イ「最初に槍のもとへ案内したシーンかな?」(私があとで確認した所、第20話でした)
イ「本当はもっと言い間違えをさせたい。小説の場合、地の文がしっかりしていれば言い間違えをしたときに分かる。漫画の場合はそれが無いので、作者が駄目なんだ(間違えているんだ)と伝わってしまう。本当はもっとやりたいが、出来ない」
ジ「言い直すからこそ、葉野っぽさが出る。言い直すところが伊賀との関係性を凄く強固なものにしているというか」
位「大石は言い直さない(生まれた環境が違う、のくだり)ので、作者がやりたくてやっているんだなと思った。リアルではよくある話だが漫画では省略されるシーンなので、読んでいてウキウキした。俺がどっかの漫画で(言い間違いシーンを)描いてったら、(それは平方さんを)パクってんだよな多分な。影響受けてんだよなどっかで。」
位「特に無い。楽園の単行本が出たが、他の単行本も出る。僕のせいではないがおそらく発売日は延期するので、告知にはならないが状況は伝えたい」
ジ「性懲りショートステイが最新作。今日も物販は売り切れですから。どんどん布教していただければ」
イ「特に無いです。次回作の予定も無いです。楽園を読んで下さい。」
位「仕事が来たら描けるよ、というのは?」
イ「それはある」
位「楽園はね、続けてもらってね?じゃないと俺が会えなくなるから…」
ジ「楽園以外に描く余力は?」
イ「作画は誰かに頼みたいですね、絵は自信がない」
位「絵はめちゃくちゃ良いですけどね」
イ「連載となると絵は他の人にやってもらったほうが…」
位「もっと真相に切り込むことを期待されていたと思うが「答えられません」の素振り(練習)を平方さんがされていたので、聞けませんでした!すいません!」
イ「本当は胸倉掴んででも聞きたいことはあるかもしれませんが、最初からこれは説明しないと決めていたことと、進行上『省かざるを得なくて説明不足になったこと』がある。こんな言い方するとあれですが、こんなにちゃんと読んで貰えると思わなかった。こんなにちゃんと伝わるんだというのが本当に嬉しかった。今日はありがとうございました」
トークライブの内容が非常に素晴らしいものだったため、さらに新たな考えが生まれてしまいました。しっかりとまとめる、というよりは漠然とした意見を書き連ねる場所にしたいと思います
・槍について
槍は超自然的なものであり、宇宙から降ってくる。サイレンが鳴るのは槍が降ってくる時。という意見。
槍を確認してからの時間はそんなに長いのか。槍が地面に刺さったときの威力は?山の槍の周囲は崩壊していない(崩壊した土地に草や木が生えた可能性)
この場合、小さな槍が空から降ってきて伊賀の頭に刺さった可能性。もし大きな槍なら伊賀は即死するはず。
津軽は空からの槍が頬にかすった可能性。
それよりもやはり「伊賀が引き抜こうとしても抜けない」ことから、地面から生えてくると想像する。樹木のような。ある程度まで伊賀の力が覚醒すると、いつか抜けるようになる(根本が折れて)。
津軽は中途半端に覚醒したような感じだと思うので、おそらく「ずっと生き物に触っていると対象を殺してしまう能力」なのでは。人間相手の場合、かなり長時間触っていないと相手は死なないが、母親をそれが原因で死なせてしまった可能性(だから年上の女性に母性を感じて、好きになってしまう)。
津軽が16~17歳くらいだとして、浦先生や美倉が36歳以降なら(設定は30代後半とのこと)母親の年齢としてありえる。津軽も一応、国や自治体から「槍の能力者(軽度)」として管理されていれば、母の死因が息子によるものだということが隠されている可能性が。
それがトラウマになり、本来そこまで気にしなくてもいいのにゴム手袋を付けて潔癖症のような感じになってしまっている。もし津軽の能力が「触れた相手を殺す」などなら、もっと危険人物扱いされているはず。
「生き物が徐々に死んでいく」の完成形が、伊賀の「時間をかければ何でも壊せる」になる。生き物が苦手で、アンチヒューマンエピソードを求めるのは「人間を嫌いになりたいから(人と関わらないようにしたい)」。
伊賀に触れて吐き気を誘発させていたのは、津軽が触り続けることで「伊賀を殺す」ため。伊賀が引き抜いた槍は「他の物質では絶対に壊せない硬さ」なので、武器に転用出来る。
それを未然に防ぐことが美倉たちの組織の目的?伊賀の他にもそういう能力者(最大限まで怪力が使えるもの)がいて、大石家の槍を引きぬき、武器に転用。それを使って母国が滅ぼされた国の国民が美倉たちの組織、もしくは国内の「とある地域」の人間?槍に対する何らかの恨みがある人達。
・さよと美倉について
さよが美倉を嫌悪していなかった理由。最初から「さよ父の研究データ」を盗むために近づいた、さよ父の愛人の可能性があるがその場合はきっとさよは「母が家を出た時点」で美倉を嫌悪するのでは。
可能性として美倉が「さよ母の姉妹(さよにとっては叔母)」で、昔からの知り合いであればあるいは…。美倉はその立場を利用し、さよ父に近づき、さよが気づいていない内に関係が出来上がったが、さよ父は途中で飽きる。さよの言動を見るに最初は美倉を嫌っていたようなので、途中から「いつか母が戻ってきた時にみんなの関係が修復するように」とさよが大人になり、過去の関係を許した可能性(表面上は仲良くしている)。これはちと厳しいか。
しかし、そうでないとなぜ最後に美倉がさよをあんなにも生かそうとしたのかが分からず。美倉は「人工的に槍で傷つけられ、能力者にさせられた」可能性あり。ジョジョの「弓と矢」のような感覚のモノ。
・プレゼント色紙(小)
プレゼント色紙(小)を見る限り、さよはあの後ちゃんと病院に行き、二葉と会っている。つまり伊賀、さよ、二葉はサイレンの後にシェルターに避難できた。伊賀だけは病院(相沢たちの所属する組織?)に搬送されていてほしいが、美倉たちの組織に拉致された可能性も。
美倉たちの行動が、サイレンのタイミングを速めたということだが、謎の攻撃はミサイルなどの諸外国からの攻撃、もしくは「引き抜いた槍」を他国や他組織がミサイル代わりに発射している可能性。
超自然的に宇宙から飛来する場合、美倉たちの行動が引き金になってタイミングが速まる理由が分からない。
・4巻おまけ漫画
4巻のおまけ漫画は本来「シーダズ」というタイトルの予定だった模様。伊賀が車椅子に乗っているところを見ると、伊賀がまた検査入院で弱体化させられているのか、「日本や世界中にある槍を引き抜くために怪力を何度も使った結果」あぁなっているのか。
病院側の別組織(伊賀にとって頼れる組織であることを望む)に「条件さえ合えば友人たちと会うことも可能」と言われ、頑張っていたのかも。もし病院側の組織(国の組織?)であった場合、webで読んだ人間は「サイレンが鳴り響いて終わる」が、単行本派は「伊賀は海に行くことが出来たし、あのあとさよや大石に会える」という希望を残した最後。私としてはこちらが良い。
もし組織が美倉たちの組織であった場合(最終話のあと伊賀だけ拉致されたりして)、あの船にはさよたちは乗っていない。伊賀は組織に良いように使われ、最終的にそのまま…→喪失感。
となるのですが、ここまで書いたあとに「シーダズ」の意味が This Is the Kit の曲である「She Does」である可能性が浮上。私は英語が苦手なので、歌詞の詳しい意味は分かりません。
しかし「私が痛い時、彼女は私を癒やす」というような意味の歌詞で歌が終わる。しかもここは繰り返し歌われます。曲調と歌詞の意味を考えると、組織は完全に伊賀の味方(あの眼鏡の男も相沢のような立場の人)であり、「傷ついた伊賀」を「久々に再開したさよ」が癒やすという展開、に繋がるラストと考えて良いのではないでしょうか。かなり希望的観測が含まれているとは思いますが…。
私はたった4冊の漫画で、平方イコルスンさんの大ファンになってしまいました。今後は他の作品も全て購入し、読むことでしょう。そしてかなり関係が深そうな、位置原光Zさんの漫画も読むことでしょう。
私は漫画が好きなので、30歳を超えてもまだこういう作品との出会いがあるというのは本当に嬉しいことです。私は平方イコルスンさんから「何かとても重いもの」を託されてしまったようなので、この記事を通して「おーいみんな!ここに何かとても重いものがあるぞー!持ってみませんかー?」と世界に向けて叫びます。もし「その何か」を持って「思ったよりずっと重いな」と感じた方は、どうかあなたも叫んでみてください。

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